単独での復縁活動の努力がなかなか実らないお客様は、「もっと頑張らないと」ともっと頑張る努力の量ばかりを頑張ろうとなさいます。
しかし、言い切らせていただきますが、それでは復縁できません。
それというのも、そもそもお客様が復縁活動をして目指すものとはなんでしょうか?
言うまでもなく、復縁という結果ですよね。
だったら、もっと頑張らないといけないと頑張る努力の量を考えるのではなく、「どうやって結果を出すか?」(=どうやって復縁するか?)を考えなければならないのではないでしょうか?
頑張る努力の量ばかりを考える人は、もうその時点で頑張ることが目的となり、その頑張り自体が頑張る目標となっています。
それでは復縁できるわけがありません。
だって、頑張ることが目的なのですから。
目指しているものが復縁であるならば、考えるべきは復縁する方法・復縁できる方法であって、考えた結果それがもし頑張りを必要しないものであっても、それはそれで全然かまわないのです。
復縁という結果が手に入ればいいのですから、頑張りの量なんてものは、本来全く関係ないのです。
例えばの話、遠くに行くことが目的のレースがあったとします。
目先の頑張りの量ばかりを考える人は走ろうと考えたり、手元に車があれば車で1周しようと思うでしょう。
走ったり車で、「起きている時間ずっと走り続ければいい」と努力することになると思います。
しかし、欲しい結果は遠くに行くことです。
すぐ走り出して頑張ればそれで良い結果が出るわけでもないので、セスナを運転する免許を取りに行くのだってアリです。
車で出発した人と1ヶ月の差がつくかもしれません。
ですが、その車との差なんて、セスナですぐ追いつけますし追い越せます。
車の人は、更に「起きてる時間で走るだけじゃだめだ、寝る時間を削って走ろう」とするかもしれませんが、車対セスナの戦いなら、寝る時間を削ったところでセスナが勝つことは目に見えた結果ですよね。
復縁だって同じです。
お問い合わせくださるお客様の中には、「復縁工作とか、人を使ってまで復縁するのはなんだか・・・」と仰る方もいらっしゃいます。
弊社は別に無理に復縁工作をオススメしたいわけでもないので、お客様が復縁工作にNOを仰るのであればそれに対して「いえ、絶対復縁工作がいいですよ!」なんてお伝えするつもりはありません。
ただ、お客様の手に入れたい結果は何ですか?とお聞きしたくなります。
手に入れたい結果は復縁なんじゃないんでしょうか?
「あれをするのはちょっと・・・」「これをするのは・・・」と目先のものばかりに囚われ、今自分にできる範囲の頑張り・努力で現状を変えようとして、それで本当に欲しい結果は手に入るのでしょうか?
いいじゃないですか、セスナの運転免許を取りに行く時間とお金をかけても。
結果的にセスナで車を抜かして先に遠くにゴールした結果さえ手に入れば、目的は達成しているんですから。
別れ工作についてもです。
本当に手に入れたい結果は何ですか?
(勿論違法行為は行いませんが、)本当に手に入れたい結果がお客様の中で既に定まっているのであれば、費用が必要になったとしても、その結果を出すために何をしなければならないかを考えなければいけないのではありませんか?
「頑張る」「努力する」「やるだけやってみる」、響きは格好良いですよね。
ですが、その響きに騙されて本当に欲しい結果が手に入らなければ、何の意味もありません。
「頑張った」、頑張る姿は美しいでしょう。
ですがどれほど美しくとも、愛してほしい人に愛してもらえなければ何の意味もないんです。
ただ「頑張った」、ただ「美しい」、ただ「努力した」。
それはただの時間の無駄であり人生の無駄で、自己満足で、他の誰かから見ればお米一粒の価値もありません。
「すごいねー」、それだけです。
結果は手に入れたから意味があるんです。
目指しただけでは何の意味もありません。
「もっと頑張る」と頑張る努力の量に対して頑張る前に、結果を出すための最短且つ最適ルートをもう一度考えてみてください。
頑張ったくらいで好きになってもらえてもう一度愛してもらえるほど恋愛は甘くありませんし、頑張ったからといって結果はついてきません。
復縁できたか?できなかったか?
それが復縁の全てです。
- ※復縁したいなら参考する復縁ブログ
- ⇒復縁したい相手を変えるのではなく自己を改善することに意義がある
- ⇒言葉に出来ないために伝わらない